ぼくのブログでもTwitterでも本の話、なかんずくSFの話題はあまり好まれないようです。
どうしてなのかなあとつぶやいたところ、
「何を読んだらいいのかわからない」
「なんだかむずかしそう」
「SFの話をすると(マニアに)ばかにされそう」
というようなお返事をいただきました。
実際ですよ、これだけ『ヱヴァ』とか『ハルヒ』とか『サマーウォーズ』とか『1Q84』とか信じられないぐらい大ヒットしてるのにですよ。最近の映画に限っても『アバター』とか『インセプション』とか『バイオハザード』とか……まあタイトルを列挙してっても意味ないですけど。
昨今の映画やゲームにSFは欠かすことのできない要素でありジャンルだと思います。
つまり。
みなさんあたかも食品添加物のようにすでに大量のSFを摂取しております。
もう手遅れです。
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ではなぜ「SFは元気がない」ように見えるのか、というと上記のようなつまるところ「何がSFなのかわからないから」というのが一応の答えになるのだと思います。
これが筒井康隆言うところの「SFの浸透と拡散」の結実なのかもしれません。
そりゃ何がSFかわからなければ元気か病気かわかるはずがありません。
なんでこんなことになってしまうのかというと、そもそもSFの定義というのがやっかいな問題でどうにでも解釈できてしまうからなのです。
曰く、
宇宙が出てくればSFなのか?
超能力が出てくればSFなのか?
未来が舞台ならSFなのか?
すべて基本的にYESです。
それを細分化して「これはSFじゃない」「あそこがSFにあてはまらない」と仕分けしていくといつのまにか「あれ? SFって元気がないぞ」ということになります。
当たり前のことですね。
例えば『ハリーポッター』も『スレイヤーズ』もファンタジーじゃない、と言い出せばあっという間にファンタジーは元気がなくなります。それと同じことです。
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これが「海外SF小説が(部数的に、とかムーブメント的に)元気がない」であればその言明の正否はともかく成立すると思います。
定義が明解ですからね。
不満があればビジネス的なヒット作やおもしろい作品を提示すればよろしい。
そんなわけでこういった状況における正しい姿勢はあくまで「議論になるなんて元気があるねえ」であります。
某料理マンガであれば、食糧が枯渇してたらあの親子も究極対至高のメニュー対決とかしてないよね、という話です。
あいつらみたいなSFファンに「この前おもしろいSF読んだんだよ」などと言おうものなら「お前は本当のSFを読んだことがない」と一喝されたりしそうなので、ここらへんから「むずかしそう」「ばかにされそう」というイメージが湧くのかもしれません。
でもレストランとかで「料理長を呼べ」とか素材の吟味について激昂してる陶芸家に遭ったことあります?
ぼくはないです。
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まあそれはSF(とか料理)が自分の存在意義になってるひとなのだなと思えばいいだけですし、そもそもそんなひとは世の中そんなにいません。
安心してください。
で、なぜこうなるのかということについてもう少し補足しておくと、SFに限らずですが、ジャンルが「別ジャンルと共存できる」という特性を持っているのでひとによってカウントの仕方が違ってしまいやすいせいもあると思います。
「ジャンル」という言葉で区切っているように見えて、それぞれ同質のものではない、のです。
例えば「ラノべ」は叢書の形態によるジャンルわけです。内容がSFでもミステリでもファンタジーでも、この形態で出版されればラノべと呼ばれます。「アニメ」みたいな感じでしょうか。
明らかにSFやファンタジーとはレイヤーの違う「ジャンル」ですよね。
ミステリとSFももちろん共存できます。
だから「ラノべで冒険でミステリでSF」な小説を読んだひとは、それがSFだと気づかないということがまま起きますし、「今回はミステリとして(SFとして)アピールしていこう」という出版社の意図による場合もあります。
ん?
なんか長くなってしまいました。
しかもこのまま書くとさらに取り留めもなく続きそう。
えーと。
この先はまたいつの日か。
結論としては
「おもしろいものはだいたいSF」
です。
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